なぜ就業規則でビジョンを語るのか?
2012/03/01
「社労士ですから就業規則をつくります」というと、「そりゃそうだ」といわれます。
でも、なぜか、「就業規則は会社のビジョンや価値観を落とし込むものです」というと、少し前までは、なかなか理解してもらえないことがありました。
開業以来ずっとこんな考え方できていますが、最近はむしろ共感してくれる人が増えてきて、内心ホッとしています。
ビジョンや価値観の込められていない就業規則は、ストーリーのない小説のようなもの。
そんなワクワクしないものに熱心に取り組もうという経営者はまずいないですね。
このワクワク感というのが、けっこう大事なのです。
会社というのは、みんなである目的を達成するために集まった、ある種のフィクションです。
だから、ここでは同じ行き先を目指す人たちが手を携えて、ともに仕事をしています。
「どんな考え方で~」というのが価値観で、「どうやって目的地に~」というのがビジョン。
社長一人で部下たちをコントロールできない規模になってくると、これらを共有することが大事になってきます。
「考え方」が共有できていないと、当初は同じ目的地を目指して同じ歩幅で歩いているつもりでも、どんどん個人差が出てきてしまいます。
「道のり」が一致していないと、当初は同じルートを同じ方法で進んでいるつもりでも、気付いたらバラバラの歩み方をしていたりします。
それは、分かった。でも、そのことと就業規則と、どう関係があるの?
こんな疑問をぶつけられることもあります。
おおいに、関係があります。むしろ、切っても切れない間柄ですね。
同じ仲間なのに、「考え方」がまちまちになってきたり、「道のり」がバラバラになってきてしまった。
こうなると、ほんとに困りますね。こんなとき、どうしますか?
厳しく指導する。ペナルティーを課す。
それでもダメなら、仲間から外れてもらう。
これらは基本すべて、就業規則に根拠のあることですね。
会社の価値観を社訓やクレドに落とし込み、会社のビジョンをビジョンカードにまとめて、仲間たちと共有していく。
これらは、素晴らしいことです。
でも、労務の分野のことじゃないから、就業規則には関係ないと思いがちですね。
とんでもないことです。
立派なクレドや素晴らしいビジョンカードがあっても、それらを浸透させるにはある種の強制力が必要です。
会社の成長にしたがって、いろんなタイプの人材が仲間になってきます。
それにしたがって、会社の「考え方」をしめし、「道のり」を語るだけでは、なかなか一身同体になれないことも出てきます。
決して性悪説に立つわけじゃなくても、やはり厳しく律する仕組みをつくらないと、十分に浸透しないというのも現実なのです。
このとき、従業員に強制力を与える根拠は、じつは就業規則でしかないのです。
残念ながら、クレドやビジョンカードには、そうした役割は与えられていない。
クレドに違反し、ビジョンカードを無視したとしても、それらを根拠に会社はなにも実行できないのです。
たんなるお飾りなのでしょうか?
そうではありません。
そもそも、クレドやビジョンカードは、就業規則と掛け算になってはじめて十分に効果を発揮するものなのです。
会社の価値観やビジョンをうたったクレド、ビジョンカードと、就業規則。
この連携は会社のこれからを左右するほど、重要な要素です。
だから、いわゆる雛型就業規則では、まったく役には立ちません。
雛型のほとんどは、会社の価値観やビジョンを浸透させるという意図を想定していません。
会社に社訓やクレドがなくても、それに相当する価値観を入れこんでいくことから、ほんものの就業規則づくりがスタートします。
「社長は、どんな会社にしたいのですか?」
この問いは、いつもワクワクするような展開の原点です。
なぜ就業規則でビジョンを語るのか?
それは、ビジョンなくして会社は成り立たないから。
そして、就業規則が唯一、ビジョンや価値観に強制力を与える仕組みだから。
このことは、ものすごく重要です。
だから、社労士は、労働法や労務の専門家であるのと同時に、だれよりも「社長の思い」を引き出し、整理し、言語化できる存在でなければならない。
熱い思いを実現させるための仕組みづくりほど、ワクワクするものはありません。
だれよりも情熱を燃やす存在でありたいものです。